初期モデルの走りは衝撃的だったこの業界に入って間もない頃、当時出たばかりのホンダ「NSX」に乗った。そのときの衝撃をとてもよく覚えている。走り出した瞬間から、頭の先から指先の神経まですべてクルマとつながって、何もかも自分でコントロールできるような気分になる。 まるで真ん中にコックピットがあるロボットを操縦しているかのように、自分の力を何倍にも膨らませながら、イメージ通りに自在に駆け回ることができる。まだ自動車雑誌の編集者になりたての新人だったが「エヴァンゲリオンを操縦したらこんな感じなんだろうな」と思うくらい、その一体感や楽しさを存分に体感することができた。 NSXには車高の上げ下げができるリフターが付いていないので、アゴを擦りそうな段差には少し気を使うが、前後左右の視界はとにかく広いし、都内でも気兼ねなく運転できてしまう。 アクセルをぐいっと踏み込めばスーパーカーらしく暴力的なパワーが放出されるし、交差点やちょっとしたカーブでもミッドシップらしい鋭い切れ味で曲がってくれる。普段も楽しく運転できるのに、ふいに牙をむくようなギラリと光る個性が好きだった。たとえば、子供たちを助手席に乗せてもきっとワクワクするだろうし、「子供たちが憧れるスポーツカー」としても輝くポジションに君臨できるはずだ。 今回試乗したのは、マイナーチェンジした2019年モデル。大きな期待を抱えながら当日を迎えたのだが、率直に言うと衝撃を受けた初期モデルと印象が違っていて、私にとっては「これじゃない」という後味が残った。 とても乗りやすくて、乗り心地も良くて、いつまでも乗っていたい……そうは思ったが、どうもしっくりこない部分がある。肌を通してビリビリと感じた日常域での一体感や、見え隠れしていた鋭い牙が抜かれてしまったように感じたのだ。NSXの一番の楽しさを感じるためには、マイナーチェンジ後のモデルだとほぼ危険運転のような領域まで踏み込まなければならない。クルマの限界はさらに遥か遠くにあって、もう手の届かないところに行ってしまっているようだった。 サーキット試乗の評価のせいで個性が消えてしまった「クルマを本当に理解するために必要なのは、サーキットを限界まで走らせることなのだろうか?」 乗り始めてしばらくして、そんな疑問が浮かんできた。私はNSXが大好きで、どうしてもマイナーチェンジしたモデルにも乗ってみたいと思っていた。それがようやく実現したのに、試乗中はその疑問が引っかかって消えなかった。 実はマイナーチェンジをする前のモデルは、一部のジャーナリストに「サーキットでの挙動が不安定だ」と酷評されていた。私もサーキットで試乗したのだが、クルマが滑り始めるまで攻めようとすると、確かにクルマを制御するのは難しい。 ただそれ以上に、普通に運転している時の楽しさや個性がもっともっと勝っていたから、私は「このままでいい!」と思っていた。サーキットで最大のパフォーマンスを出せるような安全なクルマにするなら、日常域のドライブではより安定方向になるに決まっている。そして、マイナーチェンジしたNSXは見事にそういうクルマになっていた。 「サーキットで不安な思いをするスポーツカーなんてありえない」それも正しい意見だとも思う。でも、約2400万円するクルマをサーキットで全開走行するオーナーなんて、この世に何人いるのだろう? それよりも、たまにガレージから出して運転した時に、ニヤリと笑ってしまうような楽しいクルマの方がスーパーカーとしてよっぽど価値があると思う。 それに、日々テストコースを何千回、何万回と全開走行しているテストドライバーがOKを出したものなら、無茶なことをしない限り一般の人も安全に運転できるはずだ。ジャーナリストが二、三度サーキット走行しただけで否定されて、クルマの性格そのものまで変わってしまうのは、ちょっと寂しい。牙を抜かれて丸くなったNSXを見ながら、ユーザーにとって本当に嬉しいクルマとはなんだろうと考える。これからもクルマの楽しさを広めていくために、改めて自分の記事のひとつひとつに魂と責任を込めようと誓った。 ---------- 【 ホンダ NSXのその他の情報 】 スペック【 NSX 】 |
GMT+9, 2025-4-30 16:12 , Processed in 0.073740 second(s), 18 queries .
Powered by Discuz! X3.5
© 2001-2025 BiteMe.jp .