マニアックなこだわり講座はたいてい楽しいマツダは今回、CX-3ガソリンモデルの試乗会に合わせて、「人の感覚に合わせたSKYACTIVエンジン~躍度の説明~」というレクチャーを実施した。人間の研究に力を入れていることを強調する同社はしばしばこうした催しを行うが、たいてい聞いて楽しい。今回は自動車メーカーも我々メディアもよく使う“意のままに……”というのが、突き詰めるとどういうことなのかという説明だったのだが、パワートレーン本部の井上政雄さんはこのことを説明するために「躍度(やくど・jerk)」という言葉を用いた。 躍度とは加速度の変化率であり、加速度とは速度の変化率のこと。これだけ聞くと難しいが、運転において、ドライバーはクルマを加速させる際、アクセルペダルを踏み込む量と踏み込む速さを調整している。踏み込む量が加速度で、踏み込む速さが躍度だ。 たとえば新幹線は200km/h超に達するまで加速するため加速度は大きい。しかしその速度に達するまでの時間がゆっくりだ。つまり躍度が小さい。だから乗員は流れる景色を見て初めて出発したことに気付いたり、車内で平気で立っていられたりする。 これに対し、クルマで高速道路の本線へ合流する際、ドライバーはアクセルを深く、そして速く踏み込む。達する速度はせいぜい100km/h前後だが、速く踏み込むため、短時間でその速度に達し、加速“感”は大きい。仮に車内にスペースがあったとしても、とても立っていられないはずだ。これは躍度が大きいということだ。 運転が気持ちよいと感じる条件とは?ドライバーはクルマを加速させる際、これから生じるであろう躍度に対して無意識に身構える(身体を支える用意をする)。頭部、肩、腕など、シートが支えてくれない部分の筋肉を緊張させることで、加速に備えるのだ。この時にドライバーは自分のアクセル操作に対し、想定した通りの躍度でクルマが加速してくれると“気持ちよい”と感じることがわかったそうだ。操作に対し、躍度が立ち上がり過ぎても、足りなくても、そのズレに不満を抱くという。 井上さんによると、ドライバーは運転中、連続的に“運転”計画と“運動”計画を立てている。例えば、追い越し車線に居座るバスが走行車線に戻った時、このくらいのペースであの辺りまで加速しようという運転計画を立て、実際の挙動がそうなるように、アクセルペダルを踏み込む量と踏み込む速さをコントロールする。そして想定通りに走行できた場合に気持ちよさを感じる。またアクセルペダルを踏み込む量と踏み込む速さをこれくらいにした場合、これぐらい身構えておけばちょうどよいだろうという運動計画を立て、それがうまくいった場合にも気持ちよさを感じるのだそうだ。 マツダの調査によれば、我々自動車メディアは躍度のことをなんとなく「アクセルレスポンスのよさ」とか「加速のツキのよさ」などと表現しているのだとか。ドライバーはいくら躍度が高くても、それが計画(想定)通りであれば気持ちよいと感じるが、同乗者の場合、計画を立てるわけにいかず受動的なので、一定以上に躍度が高い加速は、路線バスや電車の急発進のように不快に感じるという。 走りの気持ちよさは“いつでも”存在する試乗会場には、ドライバーのアクセル操作に対し、一定時間(0.8秒程度)が経過してから反応するようプログラムされた状態と、アクセル操作と躍度がリンクしないよう(躍度が立ち上がりすぎたり、足りなかったり)プログラムされた状態を体験できる実験車両が用意されていた。操作に対し一定時間たってから反応する車両は、他社(具体的に2社思い浮かんだ)のクルマの挙動にそっくりで、思わず「これ●■▲★じゃないですか!」と叫んでしまった。同乗したマツダのエンジニアは無言だったが、顔は笑っていた。 アクセル操作に対し、躍度が立ち上がりすぎる状態は非力なエンジンを積む国産車全般でよく感じる動きで、反対に躍度が十分に立ち上がらない状態はただただ不快だった。ドライバーは躍度が立ち上がりすぎた場合にはアクセルを戻し、躍度の立ち上がりが悪ければもっと速く踏んで調整するのだが、これがまさに意のままに動かない状態であり、ダメなクルマの典型なのだという。 こうした体験の後で試乗したCX-3は、アクセル操作に対し、立てた計画の通りにクルマが反応してくれ、これが走りの気持ちよさということかと納得できたのだった。これまでマツダがしばしば使う「走る歓び」とか「気持ちよい走り」という言葉を、スポーツドライビングに限っての話だと誤解していた。 そうではなく、走りの気持ちよさとは、スポーツドライビングだろうと渋滞中の運転だろうと常に存在するのだ。自分が立てた計画に対し、その通りの挙動、すなわちその通りの躍度の加速をしてくれることこそが、“意のままに”ということだったのだ。非力なロードスターが500psの一流スポーツカーに劣らず走らせて気持ちよいのはこういう理由だった。すっきりした。 電動化あるいは自動運転時代にも“躍度”で差別化できるよく知る井上さんに感心させられっぱなしでシャクだったので、気持ちよさを追求するマニアックな人間研究は自動運転時代がすぐそこまでやってきていても必要ですか? と質問しかけたのだが、すぐにそれは逆で、自分で運転しないとなれば、なおさらクルマに“走りの気持ちよさ”が備わっていなければ困ると気付いてやめた。自動運転時代が下手なタクシーにしか乗れないのと同じだと想像すると、ゾッとするではないか。 原稿を書いている途中、トヨタとマツダのトップによる資本提携に関する会見が開かれた。EVを共同で開発する方向というではないか。EVなら、現在マツダがIC(内燃機関)で追求していること、すなわちGベクタリングコントロールであり、DE精密過給制御であり(EVならそもそも不要になるが)、それに今回の躍度のコントロールはもっと容易になる。 マツダ単独でEVをはじめとする次世代技術全方位への対応が難しいとされていたわけで、今回の提携でそうした不安が解消されるのなら、将来のSKYACTIV-“E”(と呼ぶかどうか知らないが)にも非常に期待がもてるような気がする。 |
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