自動運転技術を使いこなすドイツメルセデス・ベンツは今年のCES(ラスベガスで開催されるコンシューマー・エレクトロニクス・ショー)で、2025年ごろに登場する自動運転車のコンセプト「F015」を発表した。今回は、西海岸のサンフランシスコで行われたワークショップからレポートしよう。 ずっと昔から自動運転を研究してきたメルセデス・ベンツは最近になって自動運転車を世界各地で実験している。ブランドのイメージアップを狙ったデモランではなく、自動運転に関わる技術を真剣に開発しているのだ。 例えば数年前にメディアに公開したテストでは、縁石にクルマが乗り上げたときに、誤ってエアバッグが開かないかどうかというテストを自動運転で行っていた。それまでは大柄の男性社員が防御服とヘルメットをつけてテストしていたそうだが、自動運転技術を使うことで、リアルワールドで起こりうる危険な走行を再現することが可能になったのだ。 もっと遡ると、VWとアウディの先進技術ワークショップでは、パイロンジムカーナコースで自動運転のゴルフとタイム競争を行ったこともある。私はなんとか勝つことができたが、多くのジャーナリストは打ちのめされた。コンピューターには恐怖心がないから崖っぷちのコースで勝負したら、負けていたかもしれない。また、アウディは7年も前に自動運転でスキッドパッドを走らせてタイヤの偏摩耗をテストしていた。自動運転の技術はずっと昔から研究されてきたのだ。 自動運転の先をイメージできない日本もちろん日本メーカーも政府と一緒になって同様の技術開発を行ってきている。具体的にはASV(アドバンスド・セーフティ・ビークル)という産官学合同プロジェクトの中で高度な安全システムを研究開発してきた。 だが、欧州のように自動運転技術を多様な目的に使うという柔軟な発想はなかったのが残念だ。あくまでも予防安全技術の延長線として捉えられているし、自動運転にどんな価値があるのか、真剣に議論してこなかった。 「ニーズなくして技術なし」という考え方が日本の技術者には足りない。電気自動車と同じように、新しいクルマの価値を提案できるかどうか。自動運転成功の鍵はそこにあると思う。自動運転は自動車の大きなパラダイム・シフトなのだ。 自動運転車にとっての高級とは?F015のコンセプトを説明しよう。メルセデスは自動運転が可能になると高級車としてどんなオモテナシが提供できるのかを真剣に考えている。スタッフがiPhoneで呼び出すと、F015がスルスルと私の前に現れた。無人の状態で車庫から出てきて、ドアが自動で開き、乗員を迎えてくれる。座席は座りやすいように回転し、乗り込むとドアが自動で閉まる。まるでMKタクシーの運転手さんを雇った感じだ。 念の為にシートベルトを締め、行き先を指定するとF015はスルスルと動き出した。F015は電気駆動で走るので(FCV)静かで快適だ。シートを180度回転させて後席の人と会話を楽しむ。ドアパネルに埋め込まれたモニターからは外の風景はもちろん、他の動画を楽しむこともできる。このモニターにはカーナビや速度をコントロールする機能もある。 こうした自動運転ではドライバーは監視義務から解放されることになるが、国連ではジュネーブ協定で「自動車とはドライバーが責任をもって運転する…」と、ドライバーの責任を規定している。この規定がある以上、今のところドライバーは前方をしっかりと監視する義務がある。ちなみに公道では、駐車場から無人でクルマが動くことも許されていない。だが、メルセデスは「オートバレットパーキング(駐車係が車を運ぶサービス)」として大規模なショッピングセンターなどでは実用化も可能だと考えている。 標識や信号ではなく、クルマと歩行者の関係が重要!?コンピューターが運転する車内で、乗員が快適さはもちろん安心感を抱いてくれるかも心配だが、メルセデスは「シェアード・スペース(shared space)」というアイディア=コンセプトを提案している。 自動運転車が歩行者の多い生活道路を走るときのことを考えてみよう。こうした状況ではドライバーと目線が合うことで歩行者は安心できるが、自動運転になるとアイコンタクトは難しい。「このクルマは私を認識しているのかしら」と不安になる。 こんな時、標識や信号に頼るのではなく歩行者や自動運転車の自主性を高め、お互いが上手にコミュニケーションできれば事故は起きない。オリジナルのコンセプトはオランダの交通エンジニア、ハンス・モンデルマン(Hans Monderman)が提唱した歩車共存のコンセプトだ。限られた道路空間に人とクルマが共存せざるを得ない都市部では、逆にスペースをシェアすることでお互いに対する配慮が芽生え、事故を減らすことが可能になるというものだ。日本語なら「分かち合う」という素敵な言葉が当てはまるだろう。 F015が照らし出す横断歩道とクルマの未来生活道路を走るF015が歩行者に出会うシーンをイメージしてみよう。F015はまず、歩行者と相互にアイコンタクトできるようなサインを出す。歩行者の足元を照らすように、道路にレーザーライトで横断歩道を投影するのだ。歩行者はクルマが自分を認識していることが分かるので安心というわけだ。こうしたコミュニケーション技術があれば、歩行者とクルマが道路というスペースを分かち合うことが可能となる。 メルセデスは2025年前後まではドライバーが監視義務を持つ“レベル2”の高度運転支援の状態が続くと考えているが、どの段階で自動運転と呼ぶのかはメーカー任せだ。無人運転も技術的には十分に可能なので、ショッピングセンターなどでは2025年以前に自動バレットパーキングが実用化されるかもしれない。 ドライバーが監視義務から解放されたシステムは“レベル3”と定義されている。レベル2とレベル3の間は技術以上にドライバーの権利と責任という法の壁がそびえ立つ。しかし、だれでも渋滞は退屈だし、車庫入れも面倒くさいはずだ。現実的にはできるところから自動化が進んでいくのではないだろうか。 排ガスと交通事故という大都市の“クルマ病”について考えるとき、話題の水素燃料電池車(FCV)と自動運転も別個の技術ではなく、「新しいクルマの価値」というテーマを軸に同じようなタイミングで進化していくだろう。電気駆動や自動運転はクルマ病を完治させる可能性がある。大都市では電気駆動と自動運転は同時に普及していくと私は考えている。 |
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