「プレリュード」復活はホンダのブランド力に好影響2025年1月10~12日に千葉の幕張メッセで開催された「東京オートサロン2025」にて、ホンダは新型「プレリュード」を2025年の秋に発売することを発表しました。かつて人気を集めた2ドアクーペの復活は、クルマファンにはうれしいニュースでしょう。 一方で、ホンダと日産の経営統合に向けた交渉が破談となったこともニュースとなりました。プレリュードの歴史を振り返るとともに、日産についても昭和・平成にかけての名車を振り返りながら、その復活について考えてみたいと思います。 ホンダを代表するモデルだったプレリュードまずは復活が決定したプレリュードについて振り返ります。プレリュードは2ドアクーペモデルとして1978年11月に初代が登場しました。車名は「前奏曲」や「先駆け」を意味する「Prelude」に由来しています。 初代モデルは国産車として初となる電動サンルーフを標準装備していました。その後、リトラクタブルライトと国産車初の四輪ABSを採用して、1982年に登場した2代目モデルで人気に火がつきます。 さらに1987年登場の3代目では、平べったいプロポーションやリトラクタブルライトを受け継ぎつつ、量産車として世界初となる機械式4WSを装備して人気を維持しました。こうして見ていくと、スタイリッシュなデザインとともに、先進装備をいち早く取り入れる先鋭的なクルマづくりがプレリュードの特徴だったわけです。 1980~90年代といえば、多くの若者にとってクルマはただの移動手段ではなく、ライフスタイルの一部だった時代。特にカップルでのお出かけの定番はドライブで、クルマを持つことが若者にとってのステータスでした。 そんな時代に、プレリュードは若いカップルに最適な「デートカー」として人気を博したのです。その後はデートカーブームの終焉とともに、手頃な2ドアクーペの需要も落ち着いてしまい、プレリュードも1996~2001年に生産された5代目を最後に、いったん姿を消します。 そして、2023年10月のジャパンモビリティショーで「プレリュード コンセプト」が世界初公開されました。東京オートサロン2025では、さらに市販化に近づいた「プレリュード プロトタイプ」が展示されました。秋に登場する市販モデルの詳細なスペックはまだ不明ですが、マニュアル感覚の「S+シフト」を追加したハイブリッドパワートレインに、あの「シビックタイプR」のパーツや知見を生かしたシャシーが組み合わされるとも言われており、今後の動きに注目です。 >>この記事のフォトギャラリーはこちら |あわせて読みたい| 日産「シルビア」|S13はプレリュードと人気を二分続いて、日産の名車を振り返ります。まずは、スポーティカーとして今もなお根強い人気を誇る「シルビア」です。車名はギリシャ神話に登場する美しい女神「シルビア」に由来しており、一時はプレリュードのライバルでもありました。 初代シルビアの原型は1964年開催の第11回東京モーターショーにコンセプトモデルとして出展された「ダットサンクーペ1500」で、翌1965年にシルビアとして登場しました。宝石のように鋭い「クリスプカット」と呼ばれる美しいデザインが特徴でした。 その後、7代目まで進化しましたが、排ガス規制の強化やクーペ人気の低迷を受け、2002年に生産を終了しました。その中でもバブル真っ只中の1988年に登場したS13型5代目シルビアは、美しいクーペフォルムのデザイン、取り回しのしやすいサイズやFR駆動、スポーティな走り、リーズナブルな価格で人気を集めて、デートカーとしても当時のプレリュードと人気を二分しました。また、この年の日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞しています。 シルビアはこの時代の国産クーペとしては貴重なFRレイアウトを守っていたこともあり、生産終了後もスポーツカー市場では根強い人気を維持。5代目以降のシルビアはドリフトやカスタムシーンでも重要な存在となっており、現在も高値で取引されています。 >>この記事のフォトギャラリーはこちら |あわせて読みたい| 日産「ブルーバード」|510や910型など名車多数「ブルーバード」は、モータリゼーションが発達した昭和の時代に一世を風靡した日産のミドルサイズセダンです。1959年に「ダットサン・ブルーバード」として初代が登場。「幸せを運ぶ青い鳥」のキャッチコピーとともにデビューし、独特なテールランプのデザインから、「柿の種」というニックネームで親しまれました。 1963年に登場した2代目ではスポーツグレード「SSS」が設定されました。SSSは「スーパー・スポーツ・セダン」の略であり、以降のモデルにもグレード名として残り続け、クルマ好きに広く知られています。ブルーバードといえば、初代から8代目までチャレンジしていたラリーでの活躍も知られていて、3代目の「1600SSS」は、1970年の第18回東アフリカ・サファリラリーで総合・クラス・チームの各部門を制し、国産車として初の三冠制覇を達成しました。 そんなブルーバードも2000年に登場した11代目では「ブルーバード・シルフィ」として新鮮さをアピールしましたが、かつてのようなスポーティさは押し出さず、良くも悪くも実用性を重視した中高年向けセダンというコンセプトにシフトしました。その後2012年のモデルチェンジでは、ついにブルーバードの冠がなくなり「シルフィ」となったことで、「走りのブルーバード」としてのイメージは過去のものとなってしまいました。 >>この記事のフォトギャラリーはこちら |あわせて読みたい| 日産「マーチ」|丸みのある2代目が大きなヒットに「マーチ」はかつて存在した日産のコンパクトカーです。1981年、日産は第24回東京モーターショーに、1リッターエンジンを搭載するFFコンセプトカー「NX・018」を出品しました。その後、565万通もの公募により決まった「マーチ」という車名で1982年に初代が発売されました。 日産初となるアルミニウム製エンジンを搭載するなど新時代のコンパクトカーを目指して開発され、世界的に有名なジョルジェット・ジウジアーロ氏が内外装のデザインを担当したことでも話題となりました。1984年にはワンメイクレース「マーチカップ」が開催され、翌1985年にはターボエンジン搭載モデルが登場しました。 1992年に発売された2代目では、直線基調の初代から一転して、丸みのある親しみやすいデザインに変更となり室内空間を拡大しました。日産初のCVTを採用して走行性能と燃費性能を向上させるなど、その実力は高く評価され、日本カー・オブ・ザ・イヤーだけでなく、日本車初の欧州カーオブザイヤーをW受賞する快挙を達成し、10年間にわたって販売されました。 その後、2002年に3代目へとバトンタッチ、2003年にはホットモデルの「12SR」が設定されました。また、2007年にはオープンモデル「マイクラC+C」が1500台限定で販売されました。「マイクラ」はマーチの欧州名で、マイクラC+Cはイギリスで製造され、日本に逆輸入される変わったモデルで、美しいスタイリングが特徴でした。 その後、タイ生産となった4代目が2010年に発売されましたが、コスト削減の余波が随所に見られたほか、先進安全装備もないことなどが影響して人気は低迷。2022年に生産を終了しましたが、40年の歴史を持つコンパクトカーとして、幅広いユーザーに愛されるモデルでした。 >>この記事のフォトギャラリーはこちら |あわせて読みたい| いま必要なのはユーザーが待ち望むモデルの復活日産は直近の決算で営業利益、純利益ともに90%以上減少させていて、販売面でかなり苦戦しています。販売促進費用(=値引き)の増加や、アメリカ市場にハイブリッドのラインナップがないことなど、要因はいろいろと指摘されていますが、結局のところは、われわれが思わず買いたくなる魅力的な日産車が少なくなったことが最大の理由でしょう。 実際、日本における日産の乗用車ラインナップを見ても、軽自動車を除くと現在は10モデルしかありません。この中には電気自動車「リーフ」や「アリア」、スポーツカーの「フェアレディZ」に加え、発売から10年以上モデルチェンジされていない「エルグランド」や「スカイライン」も含んでいることから、実質的に販売の主力となるモデルはさらに少ないことがわかります。 シルビアやマーチ、ブルーバードの全盛期は、日産というメーカーそのものも間違いなく輝いていました。プレリュードの復活と同じように、日産もかつての名車たちを現代に蘇らせることで、ラインナップを魅力的なものとすることができるのではないでしょうか。 前述の3車種以外にも、日産には「キューブ」、「シーマ」、「プリメーラ」など、復活を待ち望むユーザーの声が多いモデルはたくさんあります。かつての日産をけん引した名車の復活こそが、日産に新たな息吹をもたらし、ブランド価値を高めるカギとなるかもしれません。 (終わり) >>この記事のフォトギャラリーはこちら |あわせて読みたい| |
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