Cクラスの前身「190E」に乗ったメルセデス・ベンツ190E。W201のコードネームを与えられて1982年に登場した当時のメルセデスで最小のDセグメントセダンで、今日のCクラスの前身に当たる。ボディは全長4420mm×全幅1680mm×全高1385mmとコンパクトで、エンジンも2リッター4気筒SOHCが標準だったから、日本では5ナンバー登録できる当時唯一のメルセデスだった。 そこで当時、保守的だった大型メルセデスのユーザーなどから「子ベンツ」と揶揄されたりしたものだが、実は190E、他のモデルに先駆けてマルチリンクのリアサスペンションを備えるなど、当時のメルセデスの最先端をいくメカニズムを備えたクルマなのだった。 しかも190Eは「最善か無か」を謳っていた時代のメルセデスの製品だから、サイズは小さいながら、クオリティは同時代のSクラスにも遜色のない第一級のものだったといえる。 今でも乗り継いでいるフリークがいる190シリーズ、日本では1985年に正規モデルが発売され、W202こと初代Cクラスにその座を譲る1993年まで現役だった。ということは、最終モデルでもすでに発売から20年以上経っているわけだが、9年間でおよそ5万台が日本で売れたクルマだけあって、今もときたま街で見かけるし、中古車の売買欄にも少なからず存在する。 標準の2リッター4気筒モデルの他に、2.3リッター4気筒、2.6リッター直列6気筒、2.3リッター16バルブ4気筒を積んだ「2.3-16」とそのエヴォリューションモデル、ディーゼルエンジン搭載の「190D」など、多彩なバリエーションが存在したのも特徴的だった。 つまり190E、今もそのファンが確実に存在し、実用にも使われている、というわけだ。実際、当方の知人にも、同時に複数の多彩なモデルレンジの190Eを所有しながら、それを乗り継いでいるフリークがいるのだから、その奥は深いといわざるを得ない。 「こいつは今でも快適な実用車として使える」今回、その190Eを新車に近い状態までリフレッシュさせるというプランが、MBJ(メルセデス・ベンツ日本)によって遂行された。ベースになったのは最終モデルたる1993年型190Eで、そこに同社の習志野PDC(部品センター)にある300点の新品および純正再生パーツを投入し、熟練メカニックの50時間におよぶ作業で交換した、というものだ。 その交換パーツは、ウォーターポンプやオルタネーターといった機械部品から、インテリアのシートクッション、同表皮、ダッシュボードのウッドパネルなどにも及んだという。 それに加えて、ボディ外板を当時の純正カラー、ミッドナイトブルーに全塗装したが、その塗装に費やされた時間は、前期の作業時間、50時間には含まれていない。 こうしてリフレッシュが完成した190Eを、短時間ながら試乗することができたが、その印象をひとことで表現すると、「こいつは今でも快適な実用車として使える」というものだ。 もっさりとしているが、しっとりしているまず、2リッター直4エンジンと4段ATによる動力性能は、特に速くはないが今日の路上でも充分に通用するもので、現役時代には最高速も軽く180km/hを超えたクルマだから、高速クルージングも不満なくこなすものと思われる。 それに加えて、今日のクルマよりサスペンションは全般にソフトでしなやかだから、乗り心地も快適なものだ。その一方で、メルセデスが “アジリティ” などと言い出す前のクルマだから、大径のステアリングホイールで操る操舵感は今日のCクラスと比べるともっさりしているが、それがまた当時のメルセデス独特のしっとりした味を醸し出している。 それに加えて、5ナンバーサイズのコンパクトなボディなど、今どきのクルマが失ってしまった美点も数多く備えている。というわけで、こういう程度のいい個体なら、足に使ってもいいかもと思った次第。ただし、ここまで仕上げるのに必要な費用がどのくらい掛かるのかということに関しては、部品代が300万円ほど、という以外に明らかにされていないのが、ちょっと気になるところではあるが……。 |
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