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70~80年代のインドネシアにも「いつかはクラウン」はあった!?

2018-8-10 11:00| post: biteme| view: 930| コメント: 0|著者: 文:大田中 秀一/写真:大田中 秀一

摘要: かつてはアジアの駐在員社会にも「いつかはクラウン」があった あのころの駐在員のクルマと言えば「カローラ」「コロナ」「クラウン」でした。会社の事情や駐在員の数によって違いましたが、だいたいが肩書きに見合 ...

70~80年代のインドネシアにも「いつかはクラウン」はあった!?

かつてはアジアの駐在員社会にも「いつかはクラウン」があった

あのころの駐在員のクルマと言えば「カローラ」「コロナ」「クラウン」でした。会社の事情や駐在員の数によって違いましたが、だいたいが肩書きに見合うクルマが使われます。特に大企業では“肩書き=クルマ”になっていたので、小中全校で800人ちょっとという狭い駐在員家族たちの世界では、誰の家にどのクルマがあるかをみんな知っていたものです。

特に少年たちは、“車種=だいたいの自分のお父さんの肩書き”と漠然と感じていました。カローラ、コロナくらいだとさほど差はないのですが、クラウンとなるとちょっと別格な感じがあって、「あいつん家はクラウンなんだぜ!」とか「うちのお父ちゃんもクラウン乗れるようになんないかな~」なんて具合に。やっぱり少年たちもクラウンに乗りたかったんですね。

ある日ちょっとした激震が走りました。

「こんど転校してきたあいつん家、クラウンなんだよ!」

いや、そんなにクラウン珍しくないし。

「普通のクラウンじゃないんだぜ。窓がボタンでスーッと開くんだよ、ロックも運転手がボタンでガシャンと開け閉めするんだよ! さすが大使館は違うよな~、うらやましいよな~!!」

今ではどんなクルマにも当たり前の、パワーウインドウとパワードアロックの登場でした。スーパーサルーンという、何やら高そうな雰囲気の書体のエンブレムも新鮮でした。それまで見ていたデラックスとの格の違いは明らか。それからは、「俺ん家もボタンでスーッと窓が開くクルマになんないかな~」と、クラウンよりパワーウインドウに注目が移りましたが。

そんなこんなで、アジアにいればカローラ、コロナ、クラウンの3車はどこででも見られました。クラウンは日本専用車のイメージがありますが、当時のアジアではけっこうメジャーな存在だったと記憶しています。サラリーマンのお父さんが自分で買えるこれらのクルマ、そして“上がり”としてリアシートに乗る夢を見る「センチュリー」を加えた4車のモデル名のアルファベットの頭文字を取って、“トヨタを代表する4C”と僕は勝手に呼んでいました。

ニュルで走り込んだのは直噴ターボではなくハイブリッドだった!

前置きが長くなりましたが、その4Cのうちの2C(新型クラウンと新型カローラ)のメディア向け試乗会では、新しいクラウンにチョイ乗りすることができました。石畳の上りカーブを2回曲がっただけでリアシートでの感触が従来のクラウンと明らかに違います。小さめの石畳をポコポコッと走る感じ、曲がるときの腰が感じる雰囲気、クルマ好きが乗ってもいいなと思わせるものがあるのです。

ちなみに開発陣によると、ニュルで開発を行なったのは最も走りにこだわった2.0L直噴ターボではなく、2.5Lハイブリッドで、このクルマをリファレンスにしてすべてのグレードの走りをまとめたそうです。また、純正装着のタイヤをブリヂストンのラグジュアリーカー向けタイヤである「レグノ」にした理由は、よりスポーティな「ポテンザ」ではクラウンのイメージと離れてしまうからで、構造などを工夫してレグノのパターンのまま、スポーツ寄りの特性にしているとか。他にも今回のクラウンは国内専用車なのに漢字表記を減らした、なんて話も聞くことができましたよ。

肝心なインプレッションについては評論家先生方の記事をお読みいただくとして、クラウンに興味がなかった、輸入車を乗り継いできたようなクルマ好きの皆さんも一度乗ってみることをおすすめしたいと思います。もしかしたら次期車種選択に影響があるかもしれません!

(ジャーナリストコラム 文:大田中秀一)


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