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レースは結果が全て、は違う。ポルシェとトヨタの死闘にはル・マンの神髄があった

2017-7-1 10:00| post: biteme| view: 668| コメント: 0|著者: 文:岡崎 五朗

摘要: 「レースは結果が全て」はちょっと違わないか? ル・マン24時間レースが終わった。今回の結果はトヨタファンのみならず、日本人として残念な結果だった。ポルシェはやっぱりすごいとか、トヨタはアンラッキーだった ...

レースは結果が全て、は違う。ポルシェとトヨタの死闘にはル・マンの神髄があった

「レースは結果が全て」はちょっと違わないか?

ル・マン24時間レースが終わった。今回の結果はトヨタファンのみならず、日本人として残念な結果だった。

ポルシェはやっぱりすごいとか、トヨタはアンラッキーだったとか、いやいやアンラッキーではなくトヨタは経験がまだ浅いんだよとか、両者のハイブリッドシステムの違いやドライバー、チーム体制などなど、ありとあらゆる分析が出ている。どれもきっと一部の真実を含んでいるのだろう。けれど、実のところ僕はそこにはあまり興味がない。勝てなかった理由の分析は負けたチームがすればいい、というか言われなくてもするわけで、僕ら観客が心に留めておくべきなのは、トヨタとポルシェによって、今年のル・マンで再び素晴らしい戦いが繰り広げられたという事実だ。

レースは結果が全て。そんな言葉をよく耳にする。他のプロスポーツでもそうだ。でも僕はちょっと違う考えを持っている。そりゃもちろん、プロスポーツである以上、はなっから勝ちを諦めて臨むような戦いに価値はない。しかし、本気で勝ちにいく者どうしが、知と技と精神力を尽くして本気で戦うことから生まれるドラマにこそ、モータースポーツの真髄があるのではないか。

ポルシェを苦しめ、必死にさせたのはトヨタの強さ

昨年のル・マンは、最後の最後にストップを余儀なくされたトヨタの横をポルシェが抜いていくというまさかの幕切れだった。しかし、トヨタの敗戦に価値はなかったのか? 勝てなければ無意味なのか。そんなことは断じてない。あの歴史に残る激闘がル・マンを盛り上げたのは誰の目にも明らかで、破れたとはいえ世界中のレースファンはトヨタに拍手を惜しまなかった。

今年もそうだ。昨年のトヨタのパフォーマンスに戦慄したポルシェは、戦力にさらに磨きをかけ、背水の陣で臨んだはず。トヨタも同じだ。トヨタがいなかったらポルシェだってこれほど必死にならなかっただろうし、ポルシェがいなかったらトヨタもここまで必死にならなかっただろう。結果的にはポルシェが再び勝利を収めたが、それはトラブルに苦しみながらの勝利だった。もしトヨタが参戦していなかったら、スタート前からポルシェの楽勝というムードが漂っていただろうし、彼らの戦いぶりもマシンの温存方向になっていたに違いない。ポルシェを苦しめたのは間違いなく昨年のトヨタの強さであり、今年の予選で小林可夢偉が叩きだした3分14秒791というコースレコードであり、また序盤でのトヨタのハイペースな走りだった。

彼らは純粋に勝ちたくて巨費を投じ参戦している

かつてモータースポーツは、自動車メーカーが自社製品の優秀性をアピールするための格好の場だった。モータースポーツでの活躍によってブランドイメージが向上し、販売増も期待できる、だから参戦する、という論理である。また、本田宗一郎が「レースは走る実験室である」と語ったように、技術を磨く場としても有効だった。

しかし時代は変わった。現代のモータースポーツは高度に専門化され、市販車へフィードバックできる度合いはかつてほど大きくはない。事実、F1に参加していないメーカーにだっていくらでもいいエンジンはあるし、ブランドイメージにしても、スポーツカーメーカーのフェラーリならまだしも、メルセデスやルノーがF1で勝ったが故に売れに売れたなんて話は聞いたことがない。ル・マンも同じだ。冷静に考えてしまうと、メーカーのワークス活動は、費用対効果という点で決して割に合わないのである。

ならばなぜ巨費を投じて参加するのかといえば、トヨタはル・マンで勝ちたいと思っているし、ホンダもF1で勝ちたいと思っているからだ。ただ純粋にその想いが彼らを突き動かしている。技術のフィードバックやらブランドイメージの向上やら販売増やらは「モータースポーツのような道楽に人とカネを使うのはけしからん」と考えている社内抵抗勢力や、株価や配当のことしか考えていない投資家を説得するためのもっともらしい方便のようなものである。

レース文化を盛り上げ続ける彼らに敬意と感謝を!

誤解がないようにいっておくと、だからモータースポーツに参戦するなんて意味がないと言ってるわけじゃない。むしろ逆で、世界最高峰の場で戦い、勝利を手にしたいという強い想いの発露は、自動車メーカーにとって宝のようなものだと思う。もちろん、それが彼らのクルマ作りに活かされればこんなに嬉しいことはない。が、たとえそうでなくても、モータースポーツという素晴らしいスポーツを盛り上げている主役として僕は敬意を示したいし、感謝もしたい。そして彼らには「勝ち逃げ」も「負け逃げ」もせず、モータースポーツという素晴らしい文化を継続的に背負っていってもらいたい。

かつてカルロス・ゴーン氏にインタビューをしたとき、モータースポーツに対する考え方を聞いた。ゴーン氏の答えは次のようなものだった。「勝てなければやる意味はない」。勝つために全力を出し切れ、という意味であれば正しいが、「勝てなかったら撤退」というニュアンスが強かったため、僕は違和感を覚えた。絶対に勝ちたかったらワンメイクレースをやるしかない。誰かが負けても勝つのは結局同じメーカーのクルマだからだ。

とはいえ、世知辛い世の中である。莫大な資金が必要なモータースポーツは常に抵抗勢力からの撤退要請に晒されているのが現実だ。もし今回のコラムに少しでも賛同していただけたなら、そしてクルマを買うとき、同じぐらい欲しいクルマがあって迷ったら、モータースポーツに積極的に参戦しているメーカーのクルマを選んで欲しいなと思う。


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