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クルマがぜんぶ電気自動車になると走る楽しさは消えてしまうのか?

2017-10-16 10:25| post: biteme| view: 381| コメント: 0|著者: 文:岡崎 五朗

摘要: 電気自動車シフトに欠けているもの 自動車の黎明期、パワーソースは電気、ガソリンエンジン、蒸気機関が人気を分け合っていた。しかしガソリンエンジンの性能と信頼性が向上するにつれ、1920年頃には大きく重く扱い ...

クルマがぜんぶ電気自動車になると走る楽しさは消えてしまうのか?

電気自動車シフトに欠けているもの

自動車の黎明期、パワーソースは電気、ガソリンエンジン、蒸気機関が人気を分け合っていた。しかしガソリンエンジンの性能と信頼性が向上するにつれ、1920年頃には大きく重く扱いが難しい蒸気自動車と、航続距離が短い電気自動車は姿を消していった。次に電気自動車が脚光を浴びたのは90年代。大気汚染に悩むカリフォルニア州が、同州で販売するクルマのうち一定の割合を有害物質を一切出さない自動車にすることを求めるZEV法案を提出したのがきっかけだった。これを受け各自動車メーカーはEVの開発を試みたものの、価格や航続距離などの問題で普及の目処がたたず、この法案は骨抜きになり電気自動車の開発は事実上ストップした。

このように、過去2度に渡って実用化に失敗した電気自動車。しかしここへ来て、再び注目を集め始めているのはご存じの通りだ。その背景には、・バッテリーの進化、・新しい米国のZEV法、・中国のNEV法、・テスラのような新興EVメーカーの登場、・欧州でのディーゼル問題、・パリ協定などなど、様々な技術的政治的要因がある。どれも自動車ビジネスをしていくうえでは重要なものだが、いちユーザーの立場にたつと、どこか他人事のような気がしてしまうのも事実。なぜなら、そこにはユーザー視点が欠けているからだ。

われわれがクルマを買うとき、どんなことを考えるのか。燃費、価格、室内の広さ、使い勝手、ランニングコスト、アフターサービスといった実利的な部分はもちろんのこと、デザイン、快適性、運転のしやすさ、運転の楽しさといった点も考慮に入れながら総合的に選ぶ。なかでもクルマ好きが重視するのが運転の楽しさだろう。運転の楽しさにもいろいろな要素があるが、そのうち大きな割合を占めるのがエンジンだ。BMWのストレート6、ポルシェのフラット6、フェラーリのV12やV8といった“名機”と呼ばれるエンジン以外にも、人それぞれ思い出に残る名機があるはずで、たとえばトヨタの4A-Gや、ホンダのB16、日産のSR20DE、三菱の4G63などに、かつて心をときめかせた人は多いと思う。

そんな人たちにしてみれば、エンジンの代わりに電気モーターを積んだEVなんて「つまらない」「どれに乗っても同じでしょ」となるのかもしれない。しかしその一方で、若い世代を中心に「エンジンにこだわるなんて古い価値観だね」と考える人たちも増えている。

退屈な普及型エンジンよりテスラのモーターがいい

僕には、どちらの人たちの気持ちも良くわかる。かつてエンジンが輝いていた時代、エンジンはたしかにクルマの楽しさの源泉だった。しかし燃費規制が厳しくなるにつれ、エンジンは次第にエンターテインメント性を失っていってしまった。この原稿を書くにあたって、僕のFacebookで「いま新車で手に入る国産車のエンジンで、これは最高に気持ちいい! と思うものありますか」という問いかけをした。「NSX」のV6ターボ+モーター、「GT-R」のV6ターボ、「レクサス IS F / RC F」の5L V8、「フーガ」のVQ37VHR、「シビック・タイプR」のK20C型、スバルのEJ20、「ロードスター」のSKYACTIV-G 1.5、「フィットRS」のL15Bなどが挙がったが、ほとんどは高性能車か高級車。「最近の国産車で最高に気持ちのいいエンジンなんてないですね」という意見も多数寄せられた。

僕も同じ想いだ。いま世の中で普及しているエンジンの多くは、燃費はいいが退屈なものが多い。高回転域まで気持ちよく回るショートストローク型エンジンや、大排気量の自然吸気エンジンなどはもはや絶滅寸前。普及型エンジンにいたっては、パサパサした味気ないフィーリングのものばかりになってしまった。美味しいものはえてして身体に悪いと言われるが、エンジンにもそれが当てはまる。そんな退屈なエンジンしか知らない世代の人たちが、エンジンなんてどれも同じだよ、と考えたとしても無理はない。

とはいえ、モーターなんて・・・と考えるのも、とてももったいないことだと思う。テスラから電動カートまで、かなり多くのEVに乗ってきたが、モーターがつまらないなんて思ったことは一度もない。それどころか、モーターにはモーターの気持ちよさが確実に存在して、現代のつまらないエンジンと比べればEVのほうが気持ちいいとすら感じているほどだ。たとえばテスラの「モデルS」。怒濤の如き加速性能に注目が集まりがちだが、気持ちよさを感じたのは、むしろその圧倒的な静粛性と滑らかさだった。どこからでも沸き上がるようなトルクを秘めつつ、どこまでも静かで滑らか。

この走り味にいちばん近いエンジン車を過去の膨大な記憶のなかから脳内検索してみると、ヒットしたのは「デイムラー ダブルシックス」だった。囁くような吐息を発しながら艶やかに回る5.3L V12は自動車史上に燦然と輝く名機の一つ。その代わり、燃費はコンスタントに5km/Lを切り、場合によっては3km/Lさえ切った。EVに乗りながら、あの大食い名機を思い出したという事実には自分でも驚いたが、そこに僕はEVの可能性を感じた。EVでも運転する楽しさを僕たちは手放す必要はないのだ、という。

EVが主流になっても運転する楽しさは不滅

考えてみれば、130年以上にわたるガソリン車の改良の歴史は、エンジンの特性を電気モーターに近づける歴史でもあった。当初単気筒で登場したエンジンが2気筒、4気筒、6気筒、8気筒、12気筒へとシリンダー数を増やしていったのは、振動を消すことと高回転高出力化が狙い。マフラー(消音器)を取り付けたのは消音のため。トランスミッションを付けたのは効率のいい回転域が狭いため。クラッチを付けたのはアイドリングが不可欠だから。電子制御式燃料噴射装置を付けたのは燃焼を安定させるため。三元触媒を付けたのは排ガスを浄化するため。しかしEVは、上記のデバイスを一切必要とせず、たった1個のモーターだけですべてを実現してしまう。

もちろん、エンジンの進化の過程において、魂を揺さぶるようなサウンドや、回せば回すほど刺激性を増していくような素晴らしいエンターテインメント性が生まれ、人々を魅了したのは事実だ。しかしそれらは必然ではなく偶然、あるいは幸運にも生じた副産物に過ぎなかったのかもしれない。仮に130年前に高性能なバッテリーが存在していたとすれば、EVが主流になっていた可能性は大いにあると思うのだ。

つまり、何が言いたいのかというと、いずれEVが主流になったとしても、運転する楽しさはなくならないということ。アクセルペダルを踏み込んだときに感じる「ああ、気持ちいい!」という感覚は、自ら運転するクルマが残っていくかぎりは不滅だ。自動運転時代が到来しても、マニュアル運転モードが残されるなら、ユーザーは気持ちよく走るクルマを選ぶだろう。

SKYACTIV-Xや可変圧縮比エンジンに期待

ならばエンジンはどうなっていくのか。急激にEVへとシフトすることはないが、ますます厳しくなっていく燃費規制を考えると、単独で生き残ることは徐々に難しくなっていき、20年後にはハイブリッドやプラグインハイブリッドとして生き残ることになるだろう。

それより前、おそらく10年後には、ガソリン車、ディーゼル車、ハイブリッド車、プラグインハイブリッド車、電気自動車、燃料電池車のなかから、自分の予算や使い方や好みに合ったものを自由に選べる時代がやってくる。そんななか、内燃機関を開発しているメーカーに強く望むのは、燃費だけを追求した退屈なエンジンでなく、サウンドや回転フィールといったエンジンならではの魅力を大切にしたものを作って欲しいということだ。そういう意味で、予混合圧縮着火という夢のようなメカニズムを実現したマツダのSKYACTIV-Xや、日産の可変圧縮比エンジンは、燃費とガソリンエンジンの気持ちよさを両立する画期的な技術として注目に値する存在だ。

石油が有限なエネルギーである以上、いずれはなくなる。それが数十年後になるか、100年後になるのか、あるいは200年後なのか。様々な機関が様々な予測をしているが、現段階ではどれが正しいかちょっと判断が付かない。しかし、いずれなくなる、あるいは残っていてもそれを燃やして大量の二酸化炭素を出すことが許されなくなるのであれば、せっかくなら副産物として生まれた「気持ちよさ」を、最後の最後まで味わわせて欲しいと思うのである。


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