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自動車デザインの常識を疑え。ゴルフやパンダはアジアでも名作と呼べるのか?

2017-9-21 09:50| post: biteme| view: 574| コメント: 0|著者: 文:島下 泰久

摘要: パンダやゴルフはアジアの街並みで名作と呼べるか? 突然だが最近、クルマのデザインのことをよく考えている。日本車のデザインは常に議論の的。ブランドとしての統一感がないとか、新しくすること、変えることばか ...

自動車デザインの常識を疑え。ゴルフやパンダはアジアでも名作と呼べるのか?

パンダやゴルフはアジアの街並みで名作と呼べるか?

突然だが最近、クルマのデザインのことをよく考えている。日本車のデザインは常に議論の的。ブランドとしての統一感がないとか、新しくすること、変えることばかりが求められて、良いデザインという観点がないとか、景観にいかに溶け込むかを考えるべきだとか、そんな議論が繰り返されている。その場合の対立軸は、やはりヨーロッパ車なのだが、そうしたデザイン談義を眺めていると、ふと「今も本当にそれが当てはまるんだろうか?」と思わされる昨今なのだ。

まず普遍性という話。中国市場をはじめ、世界の自動車市場の中心が成熟国から新興国に移ってきたのは紛れもない事実だ。そんな今の時代に、あるいは今の街並みに、馴染むクルマのデザインとはどんなものだろうか。

シンガポールであれ中国であれ、街には高層ビルが立ち並び、しかも街自体が急速に変貌を遂げている。では、カーデザインの不朽の名作としてすぐに名が浮かぶ初代「フィアット パンダ」や「VW ゴルフ」のようなクルマは、ここでも古い街並みが残るヨーロッパに於けるのと同様に映えるのか、同じように名声を得られるのかと言えば、正直言って疑問だ。むしろ景観に溶け込まない、とすら言えるのではないかとも思う。なぜなら、そこには街と、それらのクルマのデザインを結びつける文脈が存在しないのだから。

ユーザーにとっても同様ではないかと思う。そもそも「クルマとはこうあるべき」という立脚点が、もしくは少なくともスタート地点が異なるのだから、パンダやゴルフ、あるいは「ポルシェ 911」だって、理解できなかったとしても無理はない。

年代だって影響するはずだ。今、40代の筆者がリアルタイムで見たクルマは70年代以降のものが中心で、時折60年代のものが混ざっていた程度だったと思う。50年代あるいはそれ以前のクルマは、後追いの知識で良さは知ったけれど、古いものだという認識は間違いなくある。これらのカーデザインは時に「タイムレス」と評されるが、そう感じるのは、必ずしもすべての年齢層(や、文化的背景)に共通とは言えないのではないだろうか。

新しければいい、変化していればいいと言いたいわけじゃない。正義は今も「良いデザイン」だろう。けれど、その「良いデザイン」って何か、ということはアップデートされるべき事柄かもしれない、あるいは少なくとも一概にコレだとは言えないのでは、と思うのである。

欧州ブランドの統一感にもネガティブな面がある

創造性についてはどうだろう。ヨーロッパのクルマのデザインはどちらかと言えば継続性重視と言える。優劣を言いたいわけではなく、個人的には、そうだからこそゴルフだったり911だったりが好きではあるのだけれど、見方によってはいつも変わりばえしないと評することもできるはずだ。

しかしながら、時々思い立ったように大波がやってくる。今回のフランクフルトショーでBMWが見せた次世代モデル達を見ると、まさにかつてのバングル革命以来の、大掛かりな変化が訪れそうな気配が感じられる。しかしながら、一旦テーマが決まれば、あとはそれをフォローするのが基本で、大きな変化は許されないというのも、過去に様々な、特にジャーマンブランド達で見てきた通り。丸いライトに角がついたりというのが、果たして良いデザインなのか? 一連のミニ、特に「クロスオーバー」辺りの苦しさを見ても、そんな思いがもたげてならない。

あるいはそのミニ、「ザ・ビートル」「フィアット 500」のように思い切りレトロ路線に振れることも起こる。日本は新しさを追いすぎると言われるけれど、果たしてどちらが健康的だろうか? まあ個人的にはレトロも、決して嫌いなわけではないのだけれども…。

ブランドの統一感についてはどうか。たとえばメルセデス・ベンツ。ラインナップが「C」「E」「S」クラスの3つのセダンと「SL」、「Gクラス」程度で、販売台数も今の200万台の数分の1だった頃には、あるいはすべてが似たデザインでも良かったかもしれない。BMWだって、アウディだってそうだ。

けれど今は、台数規模が違い過ぎる。いくら単体では美しく、カッコ良くても、同じテーマのデザインが街に今までになくあふれてしまったとしたら、ブランドにとってポジティヴなことではないだろう。現に今だって、「C」「E」「S」クラスには似過ぎて区別がつかないという批判が出てきているのである。

世界の変化に応じた自動車のデザインを巡る論議を

ましてトヨタやVWのような世界で1千万台を売り上げるようなブランドにとっては、すべてのモデルを同じデザインテーマで貫くのは無理な話だ。日本でトヨタは40%ものシェアを持つ。それらがすべて同じ顔だったら、それこそ景観問題になる。

一方、シェア4%のヨーロッパでは、トヨタはキーンルックと呼ばれるフロントフェイスの統一化を進めている。あるべきデザインは、そうした市場要件によっても異なってくるのだ。

もちろん、何かすべてのモデルに通じる背骨のようなものがあれば、とは筆者も思う。けれども、それがBMWのキドニーグリルのようなディテールなのか、それともじんわりと感じられる出汁みたいなものなのかは、思案しどころである。

個人的には初代パンダやゴルフ1~3は大好きだし、ポルシェ911には常に特別な思いを抱き続けている。「W124」だって大好物。その統一感、オーセンティックさに魅了されているのだ。

けれど世界は刻々と変化を続けており、自動車を取り巻くものだって、それこそ街並み、人々の志向、ブランドのあり方等々、あらゆる面で変わっている。そんな中でこれら名車たちを未だに基軸とし続けるデザイン論を金科玉条のごとく掲げ続けるのは、それこそ時代に取り残されかねないのではないだろうか?

想像してみてほしい。1920~30年代には自動車デザインの正義、あるべき姿とは、馬車のようなキャビンの前端にエンジンコンパートメントがあり、独立したフェンダーの内側に自転車用のような細いタイヤが備わっているものだったのだ。それがたとえ美しさは不変であるにせよ、今の時代に相応しい自動車の姿だとは、誰も思わないだろう。

個人的には、「トヨタ シエンタ」の方が、よほどしっくり来ると感じる。独特のスタイリングの向こうに、しっかり今の時代に求められる機能的な要求が満たされているのを感じるからである。

世界が変わり、人が変わり、自動車が変わってきた中での“今の”自動車デザイン。それこそ電動化の潮流が大きくなり、自動運転の時代を迎える中で、そうしたものこそ見てみたいし、デザインを巡る議論も、そこを指向するべきではないか。長くなったが、そんなことを考える昨今なのだ。


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