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年の瀬に思う、自動車大国としての日本メーカーのあるべき姿

2016-12-31 11:00| post: biteme| view: 966| コメント: 0|著者: 文:岡崎 五朗

摘要: 日本メーカーが何をして、何をしてこなかったのか 2016年は、日本の自動車産業が約25年間に渡って自信を失ってきた状態から再び立ち上がる、その胎動を感じた年だった。バブル経済が最高潮を迎えた1989~90年、日本 ...

年の瀬に思う、自動車大国としての日本メーカーのあるべき姿

日本メーカーが何をして、何をしてこなかったのか

2016年は、日本の自動車産業が約25年間に渡って自信を失ってきた状態から再び立ち上がる、その胎動を感じた年だった。

バブル経済が最高潮を迎えた1989~90年、日本からはスカイラインGT-R、初代セルシオ、ユーノス・ロードスター、初代NSXが生まれた。それらのクルマは世界に大きなインパクトを与え、燃費と信頼性で売ってきた日本車が、ついに名実ともに世界の頂点に立ったことを表現していた。しかしバブル崩壊とともに、日本車は再び元いた世界へと戻っていってしまった。ハイブリッドやクロスオーバーSUVといった日本発のトピックはいくつかあったけれど、全体を俯瞰すれば、ここ20数年間、テクノロジーや商品企画といった分野で自動車界の主導権を握ってきたのは、残念ながらドイツだった。

むろん、この考えには異論もあるだろう。なるほど日本メーカーは円安もあって好調な決算を続けている。日本は依然として世界に冠たる自動車大国である。しかし、日本車のシェアが90%以上を占める日本の自動車シーンを眺めれば、日本メーカーが何をして、何をしてこなかったのかがよくわかる。「安くて燃費がよくて室内が広いのがいいクルマ」という価値観の形成は自動車のコモディティ化を進め、若者のクルマ離れを招いた。楽しいとか気持ちいいとか気分が上がるとかドキドキするとか美しいとか、そういう価値観をどんどん排除していった結果、販売台数ベスト10には「安くて燃費がよくて広いクルマ」がずらりと並び、クラウン以外の日本製ラグジュアリーカーはもはや絶滅寸前だ。

喜ばしい流れも生まれている

そういう時代なのだ、と諦めるのも一つの方法だろう。海外で売れてるからいいのだ、と正当化するのもアリだ。けれどクルマにシラけた国民が作るクルマが、説得力をもって外国に受け入れられ続けると考えるのはあまりに楽観的すぎるだろう。自動車大国である以上、それに相応しい姿を自国マーケットにおいても示す必要があるのではないかと僕は思うのだ。

そのためにまず必要なのは、魅力的なクルマを投入すること。そういう意味で、ベーシックカーの常識を覆す実力をもつインプレッサ、デザインは別としてついに燃費以外の訴求力をもつに至った新型プリウス、ついに復活したNSX、新しいパワートレーンを提案してきたノートe-POWER、そして来年早々登場するレクサスLC……。孤軍奮闘していたマツダに加え、他の日本メーカーからも乗ってみたいなと思えるモデルが次々に登場してきたのはとても喜ばしいことだ。2017年も、そしてその先も、こうした流れが持続し、日本の自動車シーンがますます楽しくなることを望みたい。


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