自動運転、それとも自動運転“技術”?「ウチは自動運転ではなく、自動運転“技術”と言ってますから」 つくづく面倒くさい…いや違った厳密な時代がきましたねぇ(笑)。先日遂に登場した日産初の自動運転“技術”こと「プロパイロット」ですよ。新型セレナに初搭載されてテストコースで初めて試したんですが、あれまあビックリ! かなり凄いシロモノじゃないですか。 時速0km~100kmぐらいまで、高速道路みたいにちゃんと白線が引いてある道なら、ほぼハンドルに軽く手を載せているだけでOK。後は多少のスイッチ操作で、前走車に追従するか、設定速度を守って見事に車線をキープする。まさしく“自動運転”と言ってしまいたくなる出来映え。 ただし、昨今話題のテスラ・オートパイロットの事故を見ればわかるように過信は禁物。ってかこの手の“セミ自動運転”というか“自動運転的技術”は非常に微妙かつセンシティブなシロモノで、去年前半ぐらいまでは“運転支援技術”とか“被害軽減ブレーキ”とか奥歯に物が挟まったような表現がされてました。 安倍総理の自動運転予言がネーミングを変えたそれは死亡と言わずに心肺停止というような、非常に丁寧かつ厳密な表現で、極端なほど誤解を恐れる表現。実際、スバルのアイサイトが先鞭をつけたこの手は、タマにしか発動しない緊急停止ブレーキはともかく、追従式クルーズコントロールは毎日使うことができちゃう。となるとどうしても人はラクをしたくなる。よってあくまでも「主体は人」「責任はドライバーにある」ことを伝えるべく、この手の機能は「サブですよ」「黒子ですよ」という物言いがなされてきた。 ところが去年10月頃に安倍総理が「2020年には自動運転を実用化…」なんて叫んじゃったからもう止まらない。「これ、自動運転って呼んでいいんだ!」「インパクト強いしガンガン使っちゃおうぜ!!」ってな具合で、テスラも日産もトヨタもホンダもあらゆるところが名称としての「自動運転」を解禁。「被害軽減ブレーキ」もすっかり「自動ブレーキ」に生まれ変わったわけです。 確かに分かり易いんですその表現。実際、状況によっては自分が踏まずとも踏んでくれるブレーキシステムですからね。 事故の責任は今のところドライバー側にあるしかし事故が証明するように「絶対」はない。ここホントしつこくいいますけど「絶対はあり得ない」。機械モノですから時にミスも起こるし、誤作動、誤判断の可能性がないとは未来永劫言い切れない。 それに法律的にも事故を起こしたらあくまでもドライバーの責任です。メーカーの責任ではありませんから念のため! というわけで早速先日、アメリカでテスラの事故が起こったわけですけど、これはある意味、良かったのかも知れないと小沢は思います。だって、自動運転的な機能は絶対的ではないということが改めて証明されたわけですから。責任はドライバーにあるってことがわかったわけですから。 「自動運転怖い」で失うものもデカい!ただ一方恐いのは、これで進化にブレーキがかかること。確かに100%はない。でも人だって100%はないわけです。そして機械は人より優れている部分が確実にある。24時間動き続けるし、カメラによっては夜間も強いし、眠くならないし、ハラも減らない。つまり両方を上手く使うのが理想的なことに間違いは無いわけですよ。逆に「自動運転恐い」ってなるのが一番怖い。それは未来の宝を失うことにもなるから。 よってつくづく表現って恐いと思うわけですけど、あえて炎上を承知で例えれば「恋愛」と呼ぶのか「不倫」って呼ぶのかの問題ってあるじゃないですか? どっちも似たようなもの(というと怒られますかね)だけど、人によってはヒドい! となったり、いいね! となったりする。他にも、人を「いい加減」っていうのと「ほどよく緩い」と表現するのはかなり意味合いが違ってきます。 昔、技術はもっと分かり易く人のためになるものだった。そして、それは今も基本的には変わらないのだけど、時に非常に微妙に、取り扱いに注意を要するものになりつつある。ホント、つくづく表現に気を使う時代になったもんですわ。人もクルマもね。 |
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