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マツダ アクセラディーゼルで挑んだ富士スーパーテック24時間の結末は!?

2018-7-14 11:00| post: biteme| view: 382| コメント: 0|著者: 文:山田 弘樹/写真:MZ Racing

摘要: 富士スピードウェイでは50年ぶりの24時間レース 去る5月31日(木)から6月3日(日)にかけて、富士スピードウェイでスーパー耐久第3戦「富士スーパーテック24時間レース」が開催された。スーパー耐久として24時間レ ...

マツダ アクセラディーゼルで挑んだ富士スーパーテック24時間の結末は!?

富士スピードウェイでは50年ぶりの24時間レース

去る5月31日(木)から6月3日(日)にかけて、富士スピードウェイでスーパー耐久第3戦「富士スーパーテック24時間レース」が開催された。スーパー耐久として24時間レースを開催するのは2008年の十勝インターナショナルサーキット以来10年ぶり。そして富士スピードウェイとしては、なんと50年ぶりの24時間レースになったという。

そしてレース開催にあたり主催者側であるSTO(スーパー耐久機構)と富士スピードウェイは、かなり慎重に事を進めた。なかでも各コーナーに大規模な照明設備や、LEDパネル型の夜間用フラッグを配置し、2度にわたってテストを行なったのは印象的だった。きっと彼らはこの24時間レースをニュルブルクリンク24hレースのようなイベントにまで育てたいのだ。

実際レースウィークは、いつものS耐からは考えられないほどの人が金曜日の練習走行から富士に押しかけ、土曜日のグリッドウォークを賑わし、各駐車場で、そしてコース脇でキャンプを愉しんだ。まさに日本でレースが文化になる瞬間を、目の当たりにすることができたのである。

そんなビッグレースに今回ボクは、Team NOPROから、Dドライバーとして参加した。スーパー耐久は通常2~3名のレギュラードライバーで闘うが、24時間ともなると人手が必要になる。そこで2015年に、やはりNOPROデミオのDドライバーとして参戦経験があったボクに再び声が掛かったというわけなのだ。

あえてディーゼル・エンジンで闘う理由

NOPROについて少しだけお話しよう。NOPROはマツダ車の有名チューナーであるノガミ・プロジェクトの愛称。ボスである野上敏彦氏は元マツダ・スピードの一員であり、あのMAZDA 787Bが制したル・マン24時間耐久レースにも参加した人物。また自らもドライバーとしてグループCカーや、全日本GT選手権(現スーパーGT)に参戦した経験を持つ人である。

そしてNOPROは、今シーズン17号車のDXLアラゴスタNOPROアクセラSKY-Dと、37号車のDXLワコーズNOPROデミオSKY-Dを、それぞれST2クラスとST5クラスで走らせている。そう、2台ともディーゼル・エンジンを搭載したレーシングカーなのである。

なぜNOPROが絶対的なパワーやスピードが劣っていると知りながら直噴ディーゼル・ターボを闘いの武器として選んだのか? その理由のひとつは、多くのマツダユーザーがこれを選ぶのと同じ、燃費の良さからだ。スーパー耐久は文字通りの耐久レース。昨年、SKYACTIV-Dを搭載した37号車デミオは、給油回数の少なさを活かして着実にポイントをゲット。一発の速さはなくともホンダ勢やトヨタ勢をかわし、ST5クラスにおいてランキング2位という成績を上げているのだ(ちなみにクラスチャンピオンは♯88 村上モータース MAZDAロードスターND)。

それを野上氏はこう語った。「もちろん私たちがNOPROとしてこれまでやってきたことを考えれば、ST5クラスに新型ロードスターで参戦することは十分考えられました。しかしそれは、同じマツダを愛するチームがやってくれることでもあります。だとしたら、我々は自分たちにしかできないやり方でレースを闘いたいと思ったんです」

野上監督の脳裏には、きっと91年のル・マンがあったに違いない。レギュレーションを熟知し、敵地であるヨーロッパで地道な根回しをしながら787Bまでこぎつけた孤高の闘いっぷりは、ロータリー・エンジンとディーゼル・エンジンの違いこそあれ、レシプロのガソリンエンジンに闘いを挑む様と非常に似ている。

ちなみにNOPROは昨年デビューさせた17号車アクセラを、大排気量FRが中心となるクラスであるST3で戦わせて1年間をかけて車輌開発し、レギュレーション変更をして今年4WD/FFクラスであるST2へとステップアップさせた。これは事実上の三菱ワークス撤退からシュリンクしたST2クラスにおいて、万が一ライバルたちがリタイアしたときにアクセラが生き残れば、十分に勝ちが狙えるまでの速さがあると野上監督がイメージしていたからだとボクは思う。そしてその一大ステージが、このスーパーテック24時間だったのである。

※昨年の出場クラス表記に誤りがあったため訂正いたしました。(7月17日)

ウサギとカメの闘い

NOPROは闘い方も熟知していた。ライバルたちは完全にアクセラをマークしていた。そのラップタイムを見て、ピット回数を予想し、自分たちのペースを調整しようとしていたのである。これに対し野上監督は、公式練習走行時のペースをドライバーに無線で指示。決勝の想定ラップがつかめると、スピードを抑えタイヤとマシンを温存した。

予選では、唯一のプロドライバーである谷川達也選手がAドライバーとして1分57秒778を刻むと、Bドライバーである野上達也選手も1分59秒085をきっちりマークして、4WDターボ勢の一角を崩すクラス3位で予選を終えた。予選トップの♯59 DAMD MOTUL ED WRX STI(大澤 学/後藤比東至/井口卓人/石坂瑞基)が1分52秒524を出していることを考えれば、アクセラのタイムは大したことはない。1周5秒以上のタイム差があれば、普通に走ったら負けるはずのないレースである。

しかし今回のレースは24時間という長丁場。ここで4WDターボ勢はトランスミッションや駆動系を労りながら、走りきらねばならないのだ。対してアクセラは、本当にミスなく、淡々と乗り切る必要があった。それさえできればマシン自体に負担は少なく、毎回給油時にタイヤ交換をすればよいだけのタフさと、速さをこの一年間で培っていた。まさに「ウサギとカメの闘い」だったのだ。

圧倒的に立ち上がりが速いディーゼル・ターボ

土曜日の午後3時。満員御礼のグリッドウォーク(スーパーGTのドライバーになったような気分だった)を終えたあと、アクセラは48台中28番目のグリッドから走り出した。ペースカーがアウトすると、オーバーオールでポールポジションを勝ち取った♯3 ENDLESS GT-Rがグリーンシグナルに向かって加速して24時間の闘いは火ぶたが切られた。

エースである谷川選手が無事に第一スティントを走り終えると、自分に出番が回ってきた。コンスタントラップを2分3秒以内にまとめ、ブレーキとタイヤ、そしてマシンを労りながら走りきるオーダー。公式練習走行ではユーズドタイヤで59秒台が出ていただけに焦りはなかったが、初めてのピレリ・ニュータイヤの様子や、まだ冷め切らない路面温度、他車との交錯など、公式練習走行とはまた違う決勝レースの雰囲気には独特なものがあった。特にラップタイムはほぼ同じでも、速さを発揮する局面が違うST4クラスとのやりとりは面倒だった。

車重が軽いトヨタ86はブレーキングとターンインでアクセラの前に出ようとするが、こちらも中・高速コーナーでは決して遅くない。またディーゼル・ターボの加速は圧倒的に立ち上がりが速く(場合によってはST3クラスのフェアレディZよりも立ち上がり加速が速いのだ!)、1.5kmにもなる富士のストレートでは1コーナーまでにこれを追い抜いてしまう。

クラスが違う争う必要もない相手だけに、無理せず行かせてくれればお互いウイン・ウインの関係になれるのに。そんな歯がゆさを味わいながらも、初めてのスティントを無事に乗り切ることができた。

クラッシュ発生も優勝候補の離脱で表彰台が見えた!?

しかし夜間のスティントは最悪だった。速さに勝るST-TCRクラスのアウディRS3 LMSが無理にこちらを抜こうとして、ダンロップコーナーの死角からリアにヒットしてきたのだ。これは相手側のペナルティだったが、チームとしてはそんなことは関係ない。24時間を走りきる上では、ノークラッシュが大原則なのだ。

始末の悪いことに同じくBコーナー立ち上がりで、進路を譲ったST5クラスのフィットがターンインに失敗し、またこちらのリアにヒットしてきた。これでボクはスピンを喫し、走行に支障はなかったけれど、大切なマシンとリアホイールを傷つけてしまった。1日に2度も同じことをやれば、気分は最悪である。

ただその後やはり同じコーナーで多重クラッシュが起こり、レースが赤旗中断となってしまったことを振り返ると、夜間におけるコーナーの見え方や路面の状況が、このポイントでは悪かったのかもしれない。また監督もこれをうるさく言わずにたしなめてくれたことには今でも感謝している。第3スティントでは再び谷川選手が走り、第4スティントでは野上選手も好走。そして明け方の第5スティントではS耐経験者である藤原能成選手が素晴らしく安定した速さを見せ、チームは順調にレースを進めていた。

かたやライバルたちは、優勝候補の筆頭である59号車スバルWRX STIが序盤でST-X車輌に突っ込まれて戦線離脱。ST2クラスは4台しかエントリーがなかったため、これで走りきることさえできれば表彰台は確実! と考えていたのだが……。59号車チームはBピラーからの切開オペを敢行してマシンを修復。なおかつ恐ろしいまでの速さで追い上げを開始し、なんと3番手のランサーを抜きに掛かっていた。

もう本当にこのときは「やめてくれ!」と思った。必死で表彰台をつかもうとしている自分たちを、後ろから狼が追ってくるような気分だった。あとから59号車チームのドライバーに聞いた話では、「2位までは見えていた」という。残念ながらその後はトラブルが頻発し結果的に25周遅れの4位でレースを終えたが、その諦めない底力には準ワークスの意地を見た気がした。

トラブルを克服しクラス2位獲得。未来へつながる結果を得た

見事な走りを披露したのは6号車の新菱オート☆DIXCEL エボX(富桝朋広/菊地 靖/大橋正澄/成澤正人/藤井芳樹/古山節夫)だ。予選こそスバルの後塵を拝したものの、レースではトップに立ってからペースを崩さず、なおかつ後続との距離を測りながらクレバーにレースを進めた。結論から言ってしまうと6号車はそのまま658周を走りきってクラス優勝するのだが、その走りは完璧だった。

日が昇るとアクセラは、スリップストリームに入れば水温が100度を超え、熱でブースト圧が上がりにくくなり、なかなか思うようなタイムを出せない状況が続いた。また途中ハブトラブルが起きてこれを交換する苦しい状況もあった。予定が狂う。パーツ交換でひとつのボタンを掛け違う。ピットではメカニックの怒号が響く。

それでもマシンは無事にコースへと送り出され、エースである谷川選手が終盤の体調悪化をおして合計6スティント(!)を走りきり、最後は無事にチェッカー。合計642周、3位に4周の差を付けて、クラス2位を獲得したのであった!

こうしてボクにとって初めての24時間耐久レースは幕を閉じた。毎回ピットインごとに必ずフロントタイヤを(必要あればリアもだ)交換してくれて、スタッフの寝食を整えてくれたTeam NOPROには感謝してもしきれない。そして夜通しマシンの状況を管理し続けてくれたメカニックの有志たちなしに、この24時間は語れない。また37号車も序盤にクラッチトラブルを抱えながらST5クラス2位に入り、2台ともにノーペナルティでレースを終えたことは、NOPROというチームの団結力を表している。

そうした苦労が結果として報われたことは、本当に幸せだ。もちろん監督は優勝の二文字を狙っていたと思う。けれどこのリザルトは、未来へとつながるものだとボクは思う。願わくはマツダがこの結果を見て、何かを感じてくれれば嬉しい。そして全国のマツダファンがこの結果を誇りに思ってくれたなら、さらに喜ばしい限りである。

協力:ノガミプロジェクト


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