現状は自動運転レベル2だがアップデートしていくらしい先般ご承知のとおり、なんとあのソニーが自動車を作った。1月7日からラスベガスにて開催されている家電エレクトロニクスショー「CES 2020」で発表された「VISION-S(ビジョン エス)」なる試作車である。 ソニーが出したプレスリリースを読んではみたものの、高等小学校しか出ておらず、しかも「得意な科目は図画工作だけでした」という筆者には、その技術的な細部や価値はほとんど理解できなかった。 またソニーというエレクトロニクス企業が自動車製造インダストリーに参画(?)することのグローバルなインパクトや狙いなどについても同様に、筆者のごとき町人の理解の範疇を超えている。 そのため、そのあたりのややこしくも壮大なイシューについては東京帝大やイェール大などで学位を取られた評論家先生各位に丸投げしたいと思う。 筆者がここで行いたいのは、「で、自動運転っちゅうのは結論として今後どうなるのよ?」という問題を薄ぼんやり考えてみることだ。 ソニーのVISION-Sは、現状ではレベル2(部分運転自動化:クルマが速度とハンドル制御を行うが運転の主体はドライバー)に該当している車というか試作車だが、リリースによれば「ソニーのイメージング・センシング技術をはじめ、AIや通信、そしてクラウド技術も活用した車載ソフトウェアの制御により、機能が継続的にアップデートされ進化し続けます」とのこと。 そのため、VISION-Sは将来的にレベル4(高度運転自動化:特定の場所での運転の主体はクルマ)に達することを目指しているのだろうし、ことによったらレベル5(完全運転自動化:すべての運転の主体はクルマ)まで視野に入れているのかもしれない。 ※自動運転レベル4についての補足に間違いがありましたので、お詫びして訂正いたします。 見据えているものは近未来の自動運転社会だがまあそりゃそうだろう。 リリースによればVISION-Sは「没入感のある立体的な音場を実現する音楽体験“360 Reality Audio(サンロクマル・リアリティオーディオ)”を、各シートに内蔵されたスピーカーで提供します」とのこと。しかし現状の交通社会のもとで走行中に音楽体験に「没入する」というのは、なかなかアナーキーで危険な思想である。 ソニーともあろう企業がそのような危険思想に傾倒するとは思えないため、ここはやはり、VISION-Sとは「高度自動運転を目指す車(あるいはその技術を他社に売るためのショーケース)」と解釈するのが妥当であるはず。 またついでに言えば、VISION-Sはフロントシート前方のパノラミックスクリーンでさまざまなエンタメコンテンツを楽しめるとのことだが、これもまた現在の状況下では「さまざまなエンタメコンテンツを楽しんでないで、とりあえず前を見て運転しろよ」という話にしかならないので、ここからも、VISION-Sが見据えているものは「近未来の自動運転社会」であることがわかるのだ。 しかしアレだ、その「近未来の自動運転社会」すなわちレベル4や5ってやつが実現するのは、果たしていつになるのだろうか? そこ(レベル4や5)に至るまでの技術の開発自体は意外とたやすい……なんてことを言うとエンジニア各位から打首獄門にされてしまいそうだが、まあ筆者のようなボンクラとはすべての出来が異なる世界中の英才が叡智を振り絞れば、意外とイケそうな気もする。 問題は世界中の英才各位ではなく、非英才である我々の側に存在している。 日本で自動運転社会が実現する気がしないレベル4以上の自動運転社会を実現させるためには、車両側のテクノロジーだけでなく、現状すでにある法律やら道路の作りなどを大々的に変更しなければならない。 本邦ニッポンに住まう者のすべてが英才であったならば、そこもきわめてスムーズに解決されるだろう。リスクとリターンの関係を探り、想定されるリスクを極力ヘッジしたうえで、統計学的にも最適な法や道路がすみやかに完成されるのだ。 だが残念ながら世間に英才の数はきわめて少なく、筆者を含むほとんどの者は凡人または愚鈍である。そのため日々、非合理的な選択と行動に明け暮れながら、主に私利私欲について考えている。公益? 何すかそれ? 食えんの? みたいな感じである。筆者にしてもそうだ。 さらには法を作る立法府に属する者にも凡人または愚鈍が混じっているため、あるいは選挙時に凡人/愚鈍から投票してもらわないことには立場がなくなるため、どうしたってポピュリズムすなわち大衆迎合の傾向が強くなる。 それゆえ、「まあテクノロジーのほうは順調に進化するんでしょうが、それを現場で実際にワークさせる人民のアレがアレなんで、レベル4とか5の自動運転が可能になる環境整備なんて、日本では半永久的に無理じゃないですか? トヨタが東富士工場の跡地に作るWoven City(ウーブンシティ)みたいな、ごく一部の例外は別として」というのが筆者の見立てである。 もちろんこの見立ては外れてくれて構わないし、むしろ外れてほしいとすら思っているのだが。 (ジャーナリストコラム 文:伊達軍曹) |
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