かつてはアジアでも輝いていたダットサン今回は、ジャカルタ暮らしのときから好きだった「ダットサン」ブランドのお話です。ダットサンは言わずと知れた日産自動車の前身になったメーカーで、80年代までは日産の1ブランドとして海外を中心に親しまれていました。当時のインドネシアは「ダットサン ピックアップ」の全盛期で、カロセリ(※)も含めてどこにでもある乗用車でした。セダンを買えるお金持ちは「ダットサン 510(ブルーバード)」、「ダットサン 120Y(サニー)」、「ダットサン 140V(バイオレット)」に乗っていましたね。 ※カロセリ シンガポールや香港では「ダットサン 220C、280C(セドリック)」も多く、タクシーも「クラウン」より280Cの方が多かったくらい。帰国の際に立ち寄ったこれらの国で、ジャカルタでは見られないダットサン車を見たり乗ったりするのが楽しみだったのです。今では、シンガポールなら「ヒュンダイ ソナタ」や「シボレー エピカ」が、香港なら「トヨタ コンフォート」がタクシー界を席巻していますが、当時はみなさんが想像できないほどダットサンのシェアがあったんですね。 アジアでは一定のシェアがあり知名度が高かったダットサンですが、それもセドリックの世代で言えば430型、ブルーバードなら910型までで、そのあとはまさに凋落、あっという間に消えてしまいました。日産ブランドへの強引で性急な変更が致命的だったと僕は考えています。 例えば、当時910型ブルーバードに取り付けられていたエンブレムは、「DATSUN 180B」→「DATSUN 180B by NISSAN」→「NISSAN BLUEBIRD」と短期間で変わっていき、ダットサンブランドが消滅してしまいます。その間は大した説明もありません。そしてこのタイミングは、日産が販売不振から90年代末の経営危機へと転落していく時期とも重なっていたといえるのです。 ダットサンの名前をアジアの安物ブランドに使った日産の大失策時は流れ2012年、日産はダットサンブランドの復活を宣言しました。それも、インドネシア、インド、ロシアという新興国向けの安物ブランドとして。これを聞いたとき僕は「インドネシア人をナメてるのか? いや、ダットサンブランドを馬鹿にしてるのか!?」と思ったものです。実はインドネシアの人たちも同じような思いを抱いたようです。特に自動車メディアの人たちは。 そして2013年、案の定「ダットサン GO」と「ダットサン GO+」という安価なだけが目玉の実車を目にし、不安は決定的になりました。僕は敢えて、これをゴーンさん最大の失敗と断言します。ブランド・ヘリテイジがわかってない。人種で決めつけるのはよくないかもしれませんが、彼が生粋の欧米人ならこんな失敗はしなかったはず。「ブランド資産・遺産をいかに高いカネに換えるか?」を常に考えている欧米人にはあり得ない。安物思想からいいものは生まれないのです。 インフィニティが日産ブランドの真上にあるとしたら、ダットサンの位置づけは日産の斜め上にあるべきなんです。ちょっとプレミアムなスポーティ路線という意味です。ダットサントラックというベリーベーシックなトラックもありましたが、ピックアップとしてはカッコ良かった。余談ですが、サニー トラック、ダットサン トラックという名車、なんとなくスポーティーなイメージありませんか? そんなダットサンを、あろうことか日産ブランドの真下に持ってきてしまった。こうなったらダットサンはいったん廃止して、人々が今のダットサンを忘れたころに復活させるしかないのではないでしょうか? (ジャーナリストコラム 文:大田中秀一) |
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