燃料電池車の試乗会も行なわれた東京ガス跡地豊洲問題がどうなるのか気をもんでいたら、最近になって築地改修案まで出てきてしまった。都民の食にとっても大切な中央卸売市場の行方が心配だ。その豊洲問題で必ず報道される東京ガス跡地はどんな経緯で土壌が有害物質で汚染されてきたのだろうか? 私の記憶には、この跡地で自動車の試乗会が開催されたことが残っている。その辺りの話を思い出してみよう。 いまから20年ほど前(1997年前後)にトヨタの燃料電池車のプロトタイプに試乗したことがあったが、その試乗会が東京ガスの豊洲跡地だったのだ。当時の燃料電池車は水素をどのような形態でクルマに搭載するのか、いろいろな可能性が議論されていた。試乗したのはトヨタ「FCEV(1)」で、水素を金属(結晶)に貯蔵する水素吸蔵合金タンクを搭載したクルマだった。その後、重い水素吸蔵合金では実用化は難しいと判断され採用されなかったが、「RAV4 EV」を改造したプロトタイプのステアリングを握って、豊洲の跡地を走ったのだった。水素で発電するとテールパイプからは水しか出てこないので究極のクリーンカーと期待されていたが、まさかその場所が有害な物質で汚染されているとは想像もしなかった。 すでに当時、豊洲に市場を移転する話が水面下で交わされていたが、2002年頃に東京ガスは国の環境基準を超える汚染物質が土壌から検出される事実を公表している。東京都は老朽化する築地の代替地として検討を重ねた結果、土壌改良などの対策を徹底することを前提に豊洲への市場移転を決定していったのである。 戦後の経済復興の爪あとが豊洲を翻弄している戦後の復興期、東京の湾岸エリアが埋め立てによって拡大されていったのは知っての通りだ。昭和30年に豊洲ガス埠頭が完成し、31年から東京ガス豊洲工場が稼働している。この石炭ガスの精製製造過程で触媒として使われたヒ素や、副産物として生成されたベンゼンやシアン化合物が汚染の要因とされている。つまり、豊洲が汚染されていったのは、石炭ガスの製造が行なわれた昭和31年~昭和51年の20年間で、その後は石炭ではなく石油や液化天然ガスを一次エネルギーとしたために、土壌汚染はなくなる。 ただし、工場が稼動する以前の昭和25年には豊洲に石炭埠頭が完成していて、ここに船で大量の石炭を運び込み、石炭を燃やしたり(火力発電)、石炭を蒸してメタンガス(都市ガス)を生成したりする工場が数多く稼働していたとの記録もあるから、周辺も含めた汚染が始まった時期についてはここまで遡ることもできる。 こうした汚染は戦後の急速な経済復興が招いた問題とも言え、現在の中国にも似たような状況を見ることができる。誤解を恐れずに言えば、国家が急速に発展していく段階で、経済問題やエネルギー問題が環境問題より優先されるのは必要悪という面もあっただろう。いま必要なのは汚染の教訓を未来に生かすことで、最近はベンゼンなどの有害物質は徹底的に排出しないように厳しい環境基準で規制されるようになった。これからの公害問題は対処療法ではなく、環境に悪い物質は最初か生成しないような予防的な対策がマストになるはずだ。 中央卸売市場の移転の是非も同様だ。百条委員会は当時の担当者の責任を追求しているが、都民としては責任問題や犯人探しよりも、土壌汚染の実態とその影響を私情や政治的な駆け引きを抜きに議論してほしい。そこから明らかにされた事実を行政がどう判断し、都民がどう受け止めるのか、それが問題だ。解決の糸口を早く見つけないと、これ以上の迷走は都民にとっても意味がないだろう。 |
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