クルマが本当に必要な人たちのためにもうひとつ別の方向性の軽自動車を自動車メーカーに要望したい。 バスや電車などが乏しい地域に住んでいたり、あるいはどうしても日常の移動にクルマを必要とする人々のための軽自動車だ。 いま売っている軽自動車は、どれもマーケティング偏重で商品が企画されていて、本当にクルマが無いと困ってしまう人々のためとは言い難いからだ。不必要なほど天井が高かったり、後から付け加えたプラスチックパーツの違いでモデルバリエーションを増やしていたり、本格的なスポーツカーに仕立て上げていたり、等々。ニッチにニッチを割り込ませるようにして、アノ手コノ手で新しい軽自動車が送り出されてくる。 それは否定しない。需要を喚起し、そこに商品を投入して利潤を生み出していくことは企業活動の本道だからだ。 今の軽自動車の対極にある軽自動車とは?しかし、その対極に当たるようなものがひとつ欠落している。シンプルで長年乗り続けても維持費がかさまずに済むミニマムで燃費の良いクルマも必要ではないだろうか? コストのかさむニッチなクルマではなく、吟味に吟味を重ね、決定版とも呼べる設計とデザインを施し、それを長年にわたって造り続ければ販売価格も下げられるだろう。 T型フォードは20年以上にわたって造り続ける間に販売価格を3分の1にまで下げた。ヘンリー・フォードは、一台でも多くのクルマを送り出すことが、当時の人々の暮らしを楽にすることになるという博愛主義的精神で向かい合っていたという。 軽自動車は、顧客の私有財産であると同時に、社会的な交通機関なのである。公共交通機関が限られた地域に住む人々にとっての、移動の自由と生存の権利を保証して日常生活の最後の拠り所になるのが軽自動車だ。セイフティネットのひとつである。だから、税金も保険も登録車よりも格段に安いのである。 税金と保険が格段に安い理由をもう一度考えようベーシックな機能だけを充実させ、デザインのためのデザイン、“売らんかな”ではない商品企画が施された軽自動車を求める人たちは、これからの少子高齢化が進む日本で確実に増えていくはずだ。 また、自分が軽自動車を買って乗る時のことを考えると、税金と保険が格段に安いのだから、スポーツカーやニッチモデルを選ぶのはおこがましくなってくる気がする。軽自動車は生活の道具であって、オモチャやアクセサリーではないのだ。 ユーザーもまたアレもコレもと過度に軽自動車に求めることを止めれば、メーカーの開発者も取捨選択を自ずと明らかにできるだろう。「乗って楽しい」、「運転して面白い」、「持つ喜びがある」などというキャッチコピーがカタログに踊っていない軽自動車がいい。 大衆車の名車は社会と向き合うことで生まれるT型フォードだけではなく、VWビートル、ミニ、シトロエン2CV、フィアット・パンダ、トヨタ・カローラ、スバル360など、各国各時代の大衆車と呼ばれるクルマの開発に於いては、マーケティングなどというものの入り込む余地も無いほど真摯にユーザーと社会に向き合っていた。そういう時代だった。 急速なグローバル化によって、企業に短期的な成果が強く求められるようになった現代と往時を較べてもナンセンスかもしれないが、それを承知の上で「もうひとつの軽自動車の方向性」を模索できないものだろうか。 数年前に、日本政府は軽自動車とバイクの中間に相当する「超小型車」規格を検討していると報道された。具体的な姿はまだ見えないが、軽自動車に代表されるベーシックカーの再定義が必要な時期に来ていることは確かだろう。 新自由主義的な、いち企業の瞬間的な売り上げを嵩上げするためだけのものではなく、社会民主主義的と言うと大袈裟だけれども、啓蒙的かつ禁欲的で、人々に優しく、社会に貢献できる軽自動車に僕は共感したい。現代では、そうした共感こそが回り回って優れたマーケティング効果を発揮することもあるのだから。 |
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