時代を象徴した高級サルーン「セルシオ」登場1989年、日本はバブル期の絶頂。日本は自信にあふれ、失敗を恐れず果敢に挑戦していた。 まさに「世界の頂点」を目指していた。中でもクルマ界の勢いには目を見張るものがあった。 今回は、時代を象徴した高級サルーン、欧米では「レクサス LS」を名乗った初代トヨタ「セルシオ」を紹介しよう。 世界の高級車に強烈なインパクトを与えた存在、それがセルシオだった。セルシオの登場まで、日本車は「ブランド物」としての価値を持っていなかった。 日本車は信頼性が高く、コストパフォーマンスに優れているという評価はすでに受けてはいたものの、メルセデス・ベンツやBMWといった世界の一流ブランドと同列で比較するクルマは存在しなかった。 しかし、1989年にセルシオが登場したことですべてを変えた。 セルシオは、トヨタの新高級車販売チャネル「レクサス」の主力モデルとなる「LS」として開発したモデルで、米国市場へは日本よりひと足早く「LS400」のネーミングでリリースされた。 この事実は、セルシオがワールドワイドな高級車であることのなによりの証明だった。 セルシオは、高級車に期待される圧倒的なパフォーマンス、圧倒的な静粛性、そして圧倒的な快適性と信頼性を、一切の妥協なしに追求したクルマだった。 #セルシオ #バブル期 #高級車 #ベンチマーク #LS #レクサス静粛性にこだわった“源流主義”とは開発姿勢は「源流主義」。目指す性能のために、対症療法ではなく、すべて源流まで遡った徹底的な作り込みを実施した。 ちなみにセルシオは、1984年にトヨタが開設した北海道・士別のテストコースを走り込んで開発した最初のモデルでもあった。 セルシオがとくに気をつかったのは、静粛性。高級車はオーナーをもてなすクルマである。最上のもてなしとはなにか、という命題にトヨタは静粛性という回答で応えた。 セルシオは抜きんでた静粛性を実現するために、エンジンそのもののノイズを徹底的に排除。駆動系のバランスにもこだわった。高速時の風切り音を低くするために、空力特性にも万全の配慮を払っている。源流に立ち返った静粛性対策をキチンとした上で、入念なボディ回りの遮音対策を施したのである。 当時のメルセデス・ベンツやBMWは、実はそれほど静粛性に気を遣ったクルマではなかった。速度が上昇すればそれ相応の音がキャビンを満たした。うるさい印象ではなかったものの、けっして静かなクルマではなかったのだ。 だが、セルシオの静粛性は次元が違った。速度を上げれば上げるほどセルシオの静粛性は際だった。150km/hオーバーの領域でも室内は静粛そのもの。パッセンジャー同士の会話は小声で十分だった。音の高まりで速度を認識することは不可能。速度計を注視していなければ、法定速度を大幅にオーバーしてしまうほどだった。 メルセデスやBMWとの比較試乗会を開催肝心の走りの性能も骨太だった。トヨタはセルシオの発表に先駆け、ドイツでメルセデス・ベンツやBMWとの比較試乗会を開催。その卓越したパフォーマンスをジャーナリストに披露した。 ライバル車としてチョイスされたのはメルセデスが4.2L V8を搭載した「420SEL」、BMWが傑作ストレートシックスを積む735iだった。 速度無制限のアウトバーンでセルシオは、存分にその高速性能を見せつける。 トップスピードは悠々と240km/hオーバーの領域に踏み込み、そのスタビリティも一級品。持ち前の静粛性もあって超高速域でも緊張感を強いることのないクルマだった。 掛け値なくメルセデス、BMWと同じ土俵で魅力を語れ、走りの実力も互角以上のクルマだった。 セルシオは、日本のクルマ作りが欧州の先達たちと肩を並べ、それを凌駕したことを示していた。凌駕といえば、すぐれたクオリティコントロールにより、圧倒的な信頼性を獲得していたのもセルシオの美点だった。 メルセデスやBMWなどは、その性能維持のため一定のメンテナンスを必要とした。 しかしセルシオはほぼメンテナンスフリー。しかも距離を走り込んでも性能の劣化は驚くほど少なかった。この面でもメルセデスやBMWを明らかに凌駕していた。 セルシオから、トヨタは現在と共通のシンボルマークを採用した。それはセルシオ以降を新世代とトヨタ自らが認識しているからなのかもしれない。 (終わり) (写真:トヨタ) |
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