無免許運転しても一生全免許を取れなくしないのは何故ですか?
無免許運転しても一生全免許を取れなくしないのは何故ですか? 複雑なのは無免許運転自体は実はあまり重く見られていないところです。事故を起こした時に無免許運転でも日常的に長年運転していて運転する技量がある場合にはそこまで重い罪にならないケースも見られます。「免許を取らず20年運転していました」という報道がありますが、あれを見ると「20年も無免許とはけしからん」ではなく「これは軽くすむかもね」と思うものです。また、一生免許を取れなくするとその後も免許を取らずに運転し続ける可能性が高いです。むしろ元来無免許で運転をしてしまうようなまともな判断力がない人は、一生免許を取れなくすると往々にして「免許とりたくても国が取らせてくれないんだ。国が悪いんだ。だから無免許で運転してるんだ」と罪悪感を無くして開き直り無免許運転を道々とするきっかけを作ってしまいかねません。
難しいお話しですが、法の運用は「法を守らせた上で細部をコントルールする」という考え方があります。ネットスラング的にいえば「無敵の人は強い」ので無敵の人をなるべく作らないようにします。このケースで言えば無免許運転をして免許が一生とれなかった人は、運転を諦めるのではなく、その後の人生をずっと無免許運転で過ごすので、違反点数も何も怖くない危険な運転を平気でする可能性もあります。そして事故を起こせば不幸になるのは、まともな一般人です。
賛成するわけではありませんが、無免許運転をした人を反省させ免許を取って交通ルールを守って運転するように「促して」ご機嫌を取るような政策になってしまうのが現実です。こう言っては良くないのかもしれませんが、現実問題として正直者が馬鹿を見るのは、現行の法の運用ではよくあるのです。 免許センターの教官から聞きました。この手の輩は一生取れないとなったら割り切って無免で乗り続けるから抑止効果がないと。 あなたにとってはそれが正しいのかもしれないけど、多くの国民にとってはそこまで厳しくする必要もないということ。
そんなに厳しいルールを作っても社会的な利益は低いという考え方。
その民意が反映されている結果。 社会復帰のチャンスを与えている。 無期の欠格期間など設けても、無免許運転を誘発するだけで、効果が期待できないからです。人間は、救いがあるから懲罰や我慢を受け入れるのであって、未来永劫救われないとなったら、ルールを尊重する気を失います。IC免許を自動車装備のカードリーダーに刺さずとも自動車を運転できてしまう現状では、無期の欠格期間など百害あって一利なしです。がんばればいずれ権利が復活する、と言うアメがなければ、欠格期間の設定に意味はありません。欠格期間は有期でないとならないのです。
そもそも、二度と運転させるべきではない人間は、二度とシャバに出さず、刑務所に閉じ込めておくべきです。罪に対する罰は、まず刑事処分で行うのであって、行政処分は違反の抑止効果を高めるためのオマケでしかありません。そして、刑務所から出すということは、罪を償った人間を社会に復帰させるという事で、それなら一般人として、運転免許の取得も認めなくてはなりませんよね。刑務所からは出すが、免許は取れない、などと言う政策では、出所者は仕事に就けず再犯で刑務所に戻るしかなくなります。
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